授業・研究内容

大学院、学部後期課程授業一覧

2019  2018


学位論文題目一覧

博士論文(準備中)

 

修士論文

2018年度

・ジョナス・メカス論――日記形式と映像の拡張

・形象と虚構――ジャン=リュック・ナンシーにおける提示の問題

・日本映画批評史における「風景論」――ポスト1968年の政治と芸術

・中国「現代主義」文学の形成とその限界――穆時英・戴望舒を中心に

・自由民権運動と漢詩――杉田定一を対象に

・ジャック・デリダにおけるエコノミーの問題

・健常性の欠落とゾンビの未来――2000年代以降の英米ゾンビ映画における生存のポリティクス

・19世紀フランスのブルジョワ家庭における少女と「人形(poupée)」――教育における媒体的機能の理念と実態

・東ドイツの「フォルマリズム論争」――『ルクルスの審問』をめぐる議論とその受容について


2017年度

・リチャード・セラ初期作品分析

・中国革命における「戦闘的」芸術と「牧歌的」芸術の間に――中国新興木版画運動の延安を中心に

・「中間領域」として立ち上がる「身体」――日本アニメ声優の身体性と声優に向ける欲望をめぐって

・革命の道具としての西洋楽器――文化大革命期における模範劇の創作と受容の再検討


2016年度

・エリック・ロメールの作品における謎――空間から場所へ

・リー・ストラスバーグの演技理論における「内面」の問題と可能性について――ユダヤ系移民第一世代の方法(メソッド)

・李禹煥の1970年代絵画――韓国単色画と日本美術の絵画回帰をめぐって

・リチャード・ハミルトン再考――初期作品(1949-1959)における「知覚」

・フランソワ・ベイルのアクースマティック音楽における音像生成と「音響スクリーン」への投影――電子音響音楽における聴覚イメージの空間化と身体性

・ジョルジョ・アガンベンの関係装置批判と他者論

・エリザベス朝演劇における「街」の境界不確定性

・メルロ=ポンティにおける「知覚の逆説」

・戦後イギリスにおけるデイヴィッド・シルヴェスターの美術批評

・トランスセクシュアル/トランスジェンダーのポリティクスと医療制度

・『雷雨』再解読――女性人物を中心に


2015年度

・『太平広記』の「精怪」譚から見た日本の器怪譚と『付喪神記』

・ピランデッロの短編小説における「死」の表象

・デジタルゲームにおける映像表現――カットシーンからゲームプレイへ

・ピーテル・デ・ホーホ論

・展示空間から都市へ――ダン・フレイヴィンの蛍光灯アート

・写真の主観性――淵上白陽における芸術と報道の接続

・『売糖歌』から見る日本占領下の映画と音楽――梁楽音と『萬世流芳』を中心に


2014年度

・森村泰昌における「なる」行為――写真、肉体、言葉

・方向を与えるもの:パウル・ツェラン『閾から閾へ』における「島」

・20世紀初頭の芸術思潮とアンドレ・レヴィンソンの舞踊批評概念――純粋芸術論の視点から

・痛み、傷、からだ――自傷行為と身体改造における〈回復〉ナラティヴの批判的考察

・レイモン・ベルールの「諸イメージの間」をめぐって:戦後フランスにおける映画―映像論の展開の一局面

・杉浦非水論――20世紀初頭の印刷図案における文字表現

・大江健三郎「後期の仕事(レイト・ワーク)」考――「私ら」を目指しての「書き直し」

・ウォーカー・エヴァンズの抵抗――記録のポリティクス

・オディロン・ルドンの神話的世界――生命と想像力の源

・テオドール・アドルノと「悪」の問題

・不協和音のアクチュアリティー――岡本太郎の「対極主義」分析

・E.T.A.ホフマン『砂男』論――火の表象と詩人の死

・点と点の間の〈女〉――草間彌生の芸術的活動における〈女性性〉をめぐる交渉

・民族と国家の間――1950年代の韓国における「東洋」論を巡って


2013年度

・火星の旅人――パーシヴァル・ローエルと世紀転換期のニューイングランド

・エマニュエル・レヴィナスにおける「犠牲」の問題系――「第三者」概念を基点に

・北京酷児映画展とその政治的可能性――中国独立映画運動とセクシュアル・マイノリティ運動との関わりを中心に

・生き延びる方法を探す――In-Yer-Face TheatreおよびMark Ravenhill 作品におけるポストモダニティと暴力、Shopping and Fucking から Some Explicit Polaroids

・イタリア分割主義絵画の理論と実践

・シュポール/シュルファス――絵画の実践と空間の広がり

・Art Is Not Enough――グラン・フュリーとエイズ危機時代のアメリカ

・神託、ランダム、可能性――アラン・チューリングの「人工知能」論

・リフレクション――ヴィデオアートの実践的美学


2012年度

・日本語を歌うことの限界と境界――四家文子と日本語を例に

・活弁史考

・解読する行為主体としてのサイボーグ――ダナ・ハラウェイのサイボーグ的視点における読みの戦略と実践

・書く人川端康成

・デリダにおける差異と政治

・身体的生と翻訳――現象学、ユダヤ思想及びフェミニズムの観点からのジュディス・バトラー読解

・虚構と迫真――三島由紀夫、田宮二郎、山崎豊子

・18世紀末から19世紀初頭におけるピクチャレスク「美学」の成立とその文学的受容

・モーリス・ブランショと歌――20世紀フランス文学における歌の系譜学に向けて


2011年度

・〈生活〉への信、〈像〉の思想――吉本隆明の出発

・無垢の未来――写真家セバスチャン・サルガドの撮るヤノマミ

・「日本歌曲」をめぐる言説の体系――芸術歌曲の制度化とメディア

・ファントマ・イメージの誕生とその変遷――映画とシュルレアリスムを中心に

ヴィルヘルム・フルトヴェングラーに対する非ナチ化審理――1946年12月17日の審理を中心に

・ソーシャル・メディアの時代におけるサブカルチャーと文化産業の相互関係性について――日本のヴィジュアル系アーティストを事例に

・世阿弥能「江口」のドラマトルギー――「理」の意義と「天女舞」の演出をめぐって


2010年度

・能の中の子ども役者――世阿弥から長俊まで

・発明される身体――フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニ『建築論』における身体・機械・建築

・見ることの距離について――マルセル・デュシャンとフレデリック・キースラーの展示空間

・現代和太鼓のはじまり――佐渡の鬼太鼓座の活動を中心に

・上海建築における「モダニズム様式」の形成と発展の研究――1930年代、上海の「近代性」をめぐって

・世阿弥の大和猿楽への意識と身体性――乱拍子と砕動風鬼・力動風鬼を中心に

コンピュータ音楽に媒介された相互作用とライヴ


2009年度

・「決断」の光景とその忘却――丸山眞男における「政治」と「歴史」の交錯

・ジョン・ジェスラン研究――メディアの時代の演劇作家

・《青ひげ公の城》論――戯曲と音楽のドラマツルギーにおける差異について

・ビロード革命と境界イメージ――チェコの80-90年代の想像力についての構造分析

・インプロヴィゼーション、システム、偶発性――ウィリアム・フォーサイスの解答

・大野一雄における女装の意義とその変遷――『ラ・アルヘンチーナ頌』に到る軌跡

・ジュディス・バトラーにおける「他者への倫理」――パフォーマティビティとメランコリーの理論を通じて

・小川紳介における時間の表象

・正しいイマージュと単なるイマージュ――ジガ・ヴェルトフ集団におけるジャン=リュック・ゴダール