表象文化論とは

表象文化論とは何か? 「表象文化論」は、1986年に東京大学の駒場キャンパスにまず学科として発足し、1989年より大学院の講座専攻も設置され、現在に至っている新たな学問分野である。その間、「表象」(representation)の分析という観点から、芸術・文学をはじめとする文化事象全般への新鮮なアプローチを企て、また同時に、大学での研究と社会での文化創造のアクチュアリティとの間の実践的な橋渡しをめざして、研究・教育の営みはもとより、数多くのシンポジウム・パフォーマンス公演・講演会・研究会などを組織・主宰し、現代日本の「知」の舞台を活性化しつづけてきた。現在、全国の大学のあちこちに「表象文化論」という講座や講義が設置されるに至り、日本の知的風景の中にこの分野の学問的手法が溶けこみはじめているのは、まことに慶ばしいかぎりである。


「表象文化論」という学問分野のめざすところを簡単に要約すれば、とりあえず以下の四点が挙げられよう。まず、「表象」というきわめて多義的な言葉が、「対象的」ではなく「関係的」な概念であることを強調しておきたい。それは哲学的には「再現=代行」であり、演劇的には「舞台化=演出」であり、政治的には「代表制」であって、多種多様な文化の諸次元の関係性の核を示すキー・コンセプトなのである。従ってわれわれは、芸術研究においても、そこにある「作品」を静的な対象としてただ素朴に受容し鑑賞するというのではなく、「作品」をそれが生産され消費される関係性の空間に置き直し、その空間の生成と構造を考察すべく努めてきた。「行為」の空間を問題化しようという企図が、「表象文化論」の主張の第一のものである。


第二の主張は、文学 —— 高踏的な「文芸」 —— 偏重に傾きがちだった従来型の文化研究を脱して、「イメージ」の分析を中心に据えようというものだ。ここで「イメージ」というのは、絵画から映画・テレビ・CGまで包摂するもっとも拡張された意味合いにおける映像現象のことであり、そこから必然的に、「表象文化論」にとってのもっとも豊饒な主題フィールドとして、サブ・カルチャーないしポップ・カルチャーの花開く現代的なメディア空間が前景にせり出してくることになる。


第三に、representationが「表象代表制」という政治的含意を持っているという事実に集約されている通り、広義における「文化のポリティクス」を絶えず視野に入れつつ研究に従事しようという要請がある。場合によってはメセナや文化政策やアート・マネージメントといった実践的な課題と取り組むことも辞さないのは言うまでもないが、それより以前にわれわれは、そもそも、文化そのものが諸力の交錯する政治的な葛藤の場であるという認識に立っているのである。


さらにまた、第四点として、こうした角度から文化現象を考察してゆくに当たって、われわれには、文学部での研究によくある文人ふうの鑑賞だの人生論的感慨だのを交えた素朴経験主義からはすっぱりと縁を切り、堅固な理論的なバックグラウンドを定立し、客観的な反証に耐える分析を行いたいという野心があった。言語学・精神分析・脱構築・ポスト構造主義・ジェンダー理論など、現代の様々な批評理論を文化研究に大胆に、かつ着実に導入し、主観的な印象批評を越えた、他者と共有可能な科学的成果を挙げることをめざしてきたのである。


新たに創設された学問領域としての「表象文化論」は、単なる一ディシプリンであるにとどまらず、既存の諸分野にゆるやかに浸入し、浸透し、それらのメイン・プログラムを内側から書き換えて、まったく新たな知の光景を現出させる批判装置として機能することを夢見ている。それはまた、実証的な手続きを踏んだ堅実な論究と、大学の枠をはみ出して現実に直接働きかける実践の力学とを共存させ、そこでの葛藤とディレンマそのものを生産的な糧としつつ、今、21世紀の「知」の空間に向かって大きくはばたこうとしている。


(『表象のディスクール』序言より)